言葉変換『もんじろう』用アイコン 甘えた猫   

2015年 11月 01日

おまえんとこの猫はどうしてるんだ? というお問い合わせをちょくちょくいただきます。
タビちゃんはすこぶる元気にしております。

猫が来て以来出すのをためらっていたトルコ絨毯を敷きました。
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ツメ研ぎが心配だったのです。
でも、んなこと言ってたら下手すりゃあと15年以上も絨毯使えないってことになる。
日々 ツメ研ぎしないでね! ってお願いしてますけど。
寝起きにパリパリやっちゃいますね。とほほ。

この女、昼寝は基本、にんげんの上で。
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あられもない大股開きでグースカ寝る。
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ひとりぼっちにされたりするとフテ寝。
↓どこにいるか分かりますか?
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布の下に潜り込むのが好き。箱にはあまり興味を示さない。
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ごはん時には必ず参加。
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ごはんだよ のかけ声に誰よりもいち早く反応する。
基本シャミおの膝の上に乗る。
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シャミお不在のときは、息子がいれば息子の膝にのる。
私の膝の上には絶対に乗らない。
なぜなら最初の段階で私が拒否ったから。
晩酌のときぐらいゆっくりさせてくれ。
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アジの干物をすんすんするタビちゃん。
すんすんするだけで食べない。もちろんあげない。

猫が食べてもいいもの、たとえば水炊きの魚とか北京ダックの肉のとことかはときどきあげる。

この猫は超甘えん坊なので、家族に仲間はずれにされたくない。
夫婦で喋っていると真ん中に割って入ってニャーニャー会話に参加する。

電話で息子と喋ってもニャーニャー言って妨害する。

そしてなんともいえない可愛らしい声でにゃん! と鳴いて、男どもを虜にし
お姫様のようにわがままを通すのであった。
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# by brook2015 | 2015-11-01 11:14 | ねこ

言葉変換『もんじろう』用アイコン 私の宝石物語   

2015年 10月 30日

私は大きな石の付いた指輪を二つ持っている。
ちょっと長くなるけど、その話を覚え書きを兼ねて書いておきたい。

話は私の母方の祖父にさかのぼる。

祖父はあの頃、中国東北部、旧満州のソ連との国境付近の村で大農園を営み牛馬を育てていた。
祖母との間には5男1女がいた。
その、6人きょうだいの中の唯一の女の子が私の母である。

母はハルピン生まれ。
中国人のばあや や ねえや に手厚く世話されながら、蝶よ花よと育てられた。
母はいまだに当時の女王様気質が抜けず、頭にくることがしばしばある。

やがて戦争が終わり、祖母は子供たちを連れて日本に引き上げた。
ただの一人も残留孤児にしなかったのが、祖母の誇りだった。

祖父はというとソ連軍に捕まりシベリアに連行された。
日本に帰国できたのは1956年。
実に10年もの抑留生活を送った。

とはいえ、家族は祖父のことをとっくに死んだものだと思っていた。
シベリアに抑留されていたなんて、全然知らなかった。
帰国の2年前に突然シベリアにいる祖父から手紙が届き、生きていることを知ったのだった。
そして日ソ共同宣言が発行された年に祖父は帰国した。
11歳で終戦を迎えた母は、22歳になっていた。
父と結婚する半年前のことだった。

シベリアに抑留された人の大半は(かの地で非業の死をとげた方をのぞき)2〜3年で帰国している。
何故祖父が10年余の長きに渡って抑留されていたかというと、戦争裁判で戦犯として25年の刑を課せられたからだ。
何故農場経営者の祖父が戦犯として裁かれたかというと、祖父は実は関東軍特務機関に属する諜報部員、つまりスパイだったからだ。

母はそのことをまったく知らなかった。
祖父がシベリアから戻って、はじめてその事実を知ったそうだ。

そういえば……ときどき馬にのって出かけては2〜3日家に戻らなかったことがあった。
国境付近の偵察に行っていたのかもしれない。


と母は言った。

祖父はシベリア抑留時代のことをほとんど喋ろうとしなかったし、すでに他界しているので、詳しいことは分からない。
息子はスパイだったひい爺ちゃんに憧れ、しばらくの間スパイになるべく自主連していたりしていた……(懐かしー)。

話をシベリアに戻して(笑)、かの地で祖父は大工をしていたという。
手先が器用なので重宝がられ、特別給金が出たりした。

ほかの抑留者は給金を手にすると酒やタバコを買ったりするところだが、祖父は酒も飲めずタバコも吸わないので給金を使わずにいた。
10年も抑留されていたのだから、使わなかった給金はささやかながらまとまった額になった。

そしていざ帰国、となったとき。
ソ連のお金なんか日本ではただの紙くずである。
祖父はその金で、家族への土産を買った。

といってもかさばるものは持ち帰れないので、息子たちには万年筆、妻と娘には指輪を買った。

冒頭で書いた「大きな石の付いた指輪ふたつ」とは、その指輪のことなのである。

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母の指輪は写真の、薬指のものだ。
私が22歳のとき、この指輪を母にもらった。

私にくれるまで、母はこの指輪を引き出しの奥にしまったままにしていた。

なんだか冴えない色で、いかにも旧ソ連らしいセンスのない洗面器みたいなダサいデザインだし、付けられたもんじゃない。

と言っていた。

私はこの指輪を、大手宝石チェーン店に就職した親友のところに持っていって、石の種類と本物か偽物かを調べてもらうことにした。
ついでに「洗面器みたいなダサい」台座のリフォームもお願いした。

その結果、この石はアレキサンドライトだと言われた。
リフォームを担当した職人さんは ルースで60万円ぐらい、まわりにメレダイヤをちりばめて500万円ぐらいの指輪に仕立てる感じですかねー などと言うのである。

言われてみると、お日様の光で青緑、白熱灯で赤紫に変色する。
そんな値打ちのあるものだとは思ってなかったので母に返そうとしたら いいから持っとけ と言う。

私は宝石に興味のないオンナである。
結婚指輪もここ20年ぐらいしていない。
セメントを手で混ぜるのに邪魔だから。

だから私もこのアレキサンドライトを引き出しの奥にしまいこんだままにしていた。

さて、年月はざーざーと流れ、2005年のことだ。
アルツハイマーを発症した祖母が、スパイじいちゃんが祖母に与えた指輪を母に渡した。
母がその指輪を見るのは50年ぶりだった。

祖母はその指輪を本当に大切に大切にしていたのだろう。
どこかにしまい込んで誰にも見せなかったし、そんな指輪があること自体息子たちやその嫁に悟られないようにしていた。

前のエントリーに載せた写真の、中指の指輪は、どうみてもサファイアである。
しかもかなり大きい。
祖母は祖父の貴金属に対する目利きを信用していて(何しろ昔は金持ち)
その指輪が家庭騒動の元になるのを怖れていた。
そしてこっそりと一人娘に譲ったのだった。

その年の夏実家に帰省した折、新聞の折り込みチラシを見ていたら
地元のデパートで「宝石お直し会」の催しがあるのを見つけた。

タンスの奥に眠っているジュエリーをリフォームしませんか?
無料で鑑定・鑑別いたします。


と出ていたので、母と二人で祖母のサファイアの指輪を見てもらうことにした。
名のあるデパートの催しなら、いい加減な業者じゃないだろう、プロがやってくれるだろう、と思ったから。

そしたらその鑑定人がエラい興奮して言うには

これはカシミールサファイアですよ。
購入した年代と場所からいっても間違いありません。
私も本物を見るのはこれで2個目。
カシミールサファイアの特徴としてシルクインクルージョンといって
白いもやのかかったような内容物があるものが多いのです。
この石がやっかいなのは、そのインクルージョンすらほとんどない。
先日取引されたカシミールサファイアのリングはもっと小さいもので1200万円でしたから
これだと1800万円ぐらいですかね。


などとヌカすのです!

スッピンにつっかけを履いて豆腐を買うようなナリでいた私は、ちびまるこちゃんの額に3本線が入るような顔になり、そんなものをもってブラブラ街を歩いている場合ではないと、タクシーにのって速攻家に帰った。

帰宅すると、母がそのサファイアの指輪を私にくれると言う。
私は そんな恐ろしいものは欲しくない そんな高い宝石、どこに付けていけるっちゅーねん と言って断った。
さりとて、「そんなの付けてどこ行くねん問題」は母も同じ。
外国に住んでいるのだから困ったら売ればいい、などといって私に押し付けた。

そして私はアメリカに戻って貸金庫を借り、家の権利書と一緒に二つの指輪を入れてそのまま放置。
またまた月日はザーザーと10年ほど経ったのであった。

 ………………………………………………………………………………………

私は二人きょうだい。
兄が一人おり、その兄には娘・娘・息子の3人の子供がいる。
その一番上の姪っ子がこのたび結婚することになった。

私は兄と仲が悪いが姪は可愛い。
結婚祝いをどうしようかなーと考えているうちに、ふたつの指輪のことを思い出した。

姪はプロのバイオリニストである。
私が生まれてから1度も着たこともなければ、今後も着ることもなく死んで行くに違いないようなお引きずりのドレスを何十着も持っていて、それでステージにあがる。

姪なら、あの宝石たちをしまい込んだままにせず活用してくれるだろう、と思った。

「姪の結婚祝いに宝石を贈る」 というアイデアが浮かんで、10年ぶりに貸金庫から指輪を取ってきた。
どちらを贈ろうか、二つとも渡そうか、などと色々考え、現在の宝石相場をネットで調べたりするうちに、大きなクエスチョンマークが頭の上に点滅しはじめた。

カシミールサファイア
は現在まったく産出されず、宝石業界の人間でも一度も本物を見たことのない者がほとんどである。
現在1カラットあたり500万円で取引される。

アレキサンドライト
特にロシア産のものはほとんど市場に出回っていない激レア・ジュエリーであり、大きな石は99.999%偽物である。
それが1902年にロシアから移民してきたお婆さんから譲り受けたものでも、そのお婆さんの名前がエカテリーナでも(!)、ロシア産アレキサンドライトと言われる宝石は、ほぼ偽物である。

などという話ばっかりである。

いくら私がアルコールに脳を冒されたおいぼれでも、宝石業界の人間も見たことのないサファイアと、本物なんか99%ないんだと言われているアレキサンドライトが、ふたつとも自分の指にはまっている、などと言いはれるほど目出たいお馬鹿さんではない。

それに10年抑留されていたとしても、元捕虜の囚人の給金で、60年前だって相当高価だったに違いない本物のサファイヤやアレキサンドライトなんか買えるものだろうか。

いくら一人で頭をひねっていても、正しい答えなど出てくるはずもない。
そこで一度きちんとした鑑定期間で見てもらい、この宝石どもに引導を渡してやろう、という気持ちになってきた。

そのへんの質屋や宝石店じゃなく、誰もがひれ伏すような世界ブランドの鑑定機関。

ダイヤモンドの鑑定だと、アメリカのGIAという機関が権威らしい。
色石の場合、産地鑑別レポートで信頼できるのは、スイスのGubelin (グベリン宝石研究所)とアメリカのAGL(American Gemological Laboratories)の、世界でこの二カ所だけしかなく、スイスのグベリンは個人客の依頼は受けない。
となると、アメリカのAGLに依頼するしかないのだが、これが運よく家の近くである。
行きつけの歯医者の50歩先ぐらいのところにある。

まだ2%くらい 本物かも っていうスケベ根性が残っているので、郵送依頼したりするのは嫌なのだ。
歯医者の帰りにAGLに指輪を持って行った。

そして本日鑑別結果が出た。

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両方とも偽物だった。
いや、正確にいうと偽物じゃないな。「人造石」というのかな。
ガラス玉じゃなく、ラボで作られた石だった。

ああーやっぱりなー っていうのが正直な気持ち。
良かったわ〜、姪にどや顔で偽物の宝石なんかプレゼントしなくて。

スパイじいちゃんはこの指輪を本物と思って買ったのかな? 偽物だと分かっていたのかな?
50年間(祖父亡き後40年間)絶対に本物だと思って大事ににしていたおばあちゃん。
たとえ本物でなくても、祖父がシベリアから持ち帰った指輪には何ものにも代え難い値打ちがあることにかわりはないのだが、どないなっとんねん、日本の宝石業界の目利き能力は!(笑)

今回の宝石フィーバーにあたり、シベリア抑留のこともたくさん調べた。
私はほとんど何も知らなかったし、母に聞いても同様だった。
以前は「シベリア抑留」と聞いても記号の一つにしか感じられず、映画の中の話のようだった。
今はそんなひどい体験が10年の長きに渡りほかならぬ自分の祖父の身に起こったことに、身震いする思いだ。
「共産党」という言葉すら嫌いになった。

この指輪を見ていると、今は亡き祖父や祖母の顔が浮かんでくる。
もう一人、アレキサンドライトの指輪を直してくれた親友の顔も。
彼女も数年前に乳癌で死んでしまった。
ほんのひとかけらでも彼女のことが頭をよぎると、会いたい気持ちで目の奥が熱くなる。

私は指輪を、ほかのアクセサリーを入れているオルゴールに入れて蓋を閉め、鑑別書を片付けた。

姪には何か別のものを贈ろう。
そしてこの指輪たちはもうしばらく私が持っていよう。
貸金庫も解約しよう。

私がいつか芯からヨボヨボになったときこの指輪をもらってくれる人が現れたら、「私の宝石物語」を知ってもらいたい。
その時まとまりのある話ができるかどうか自信がないので、ここに書き記しておく。
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# by brook2015 | 2015-10-30 10:31 | その他

言葉変換『もんじろう』用アイコン 息子のフレッシュマン終了   

2015年 05月 18日

大学のファイナルの試験が終わり、息子が家に戻って来た。

息子は大学をクビにならずにすんだし、メリットスカラシップも引き続きもらえることになりそうだ。

前期にFを二つ、Dを一つくらった息子。
GPAをスカラシップ継続条件にまで引き上げるために、息子は後期相当頑張らねばならなかった。

よく頑張ったね とは思う。思うが。
頑張りゃほぼAが取れるのだから、最初から頑張っとけよ、と正直思う。

メリットスカラシップを貰えないとなると、返却不用の3万5千ドルものタダでいただけるお金がぱーになる。
そんなことは最初から分かっていたはずである。

3万5千ドルの金をローンで返そうと思えば、利息なしでも月500ドルを6年近く返済しなければならない。
それがオノレの身に現実に起こるというリアリティーをありありと息子が感じたのは前期とんでもない成績をとった直後ではなく、親やガイダンスカウンセラーにガーガー言われて初めてである。

高校んときと同じ甘い感覚だった
 とつぶやいた息子。

親の私はずっとずっとずーーーーっと同じことを言い続けていたんですけどもね!!!!!

やっぱり自分で痛い目に合わないと骨身に沁みないってことなんでしょうね!!!

私は銭銭言う人間である。
お母さんはすぐカネって言う と息子にも言われている。
尊敬する西原理恵子先生の母君の格言「銭がないのは首がないのと同じ」を銘に生きている。

かといって貯金のひとつもできないダメ人間なのであるが
不注意や努力不足一発で3万5千ドルもの銭が飛んでってしまう、なんて状況など絶対に許すことはできない。

息子にその感覚が育っていないのは、自分で払っていないからである。
自分で学費を払っているなら、1コースあたり800ドルだったか1500ドルだったか忘れたけれども(笑)
Fを取りオノレの800ドルか1500ドルをドブに捨てるなんてことができるはずもない。
それともアホにはそれができるのだろうか。

フレッシュマンの1年間、息子はワークスタディという名のスカラシップも貰っていた。
これは大学で働いた分を学費に回すシステムである。
息子は非常に真面目にワークスタディに取り組み、頼りにされ、割当分以上の時間を働くこととなった。

親としては息子に長い夏休みの間も何かしらの労働をしてもらいたかった。
その給料が学費になる、ということを身に染みさせたかった。

しかし息子は家の近所のコミュニティーカレッジで苦手なリベラルアーツ系のクラスを取り、クレジットの足しにする計画である。

それが終わったら日本に行き、笛の師匠のコンサートツアーのボーヤをすることになっている。

家事手伝いをするよ と言っているので、思い切りこき使ってやろうと思っている。

ウチの家事は床板を張ったり壁を剥がしたりコンクリートをこねたりすることも含まれる。
覚悟しとれよ!
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# by brook2015 | 2015-05-18 08:46 | その他

言葉変換『もんじろう』用アイコン 椎間板ヘルニア   

2015年 04月 19日

私は8年前に椎間板ヘルニアを患ったことがある。
それが3月のはじめに再発した。
前回は左脚、今回は右脚である。

椎間板ヘルニアを患った人が異口同音に言うのは

なった人間でなければあの痛みは分からない


というものだ。

もう本当に脚がいたい。
ナイフでグサーッと刺されたような
何千本もの針を一気に突き立てられたような
そんな痛みが1日24時間、何日も何週間も続くのである。

私は息子を一匹産み落としたことがあるが
出産の痛みなど椎間板ヘルニアの痛さに比べたら屁のカッパだ。
陣痛には波があって痛みのない時間があるし
産んでしまえば痛くなくなる、という希望というか目標もある。

椎間板ヘルニアはゴールの見えない激痛との戦いなので
精神が病んでしまう人も多いのだ。

そしてこの疾患は基本、痛み止めを飲んで耐えるだけである。
「手術」という選択肢はあまり取られない。

そんなわけで今回、発症して後2週間ほど痛み止めを飲んでのたうち回っていたが
もう何もかも限界になって医者に行った。

案の定、処置的には痛み止めを処方されただけである。
それと今回はMRIを撮った。

皆さん知ってますか。
アメリカでMRI1回の費用は5000〜6000ドル(60〜70万円)なんですよ。
私の加入している健康保険はヘッポコ保険なので
ディダクティブルは6000ドルなんです。
検査だけでひと財産飛んで行きましたけども
それでも医者にすがらずにはおれないあの痛み。

さらには椎間板ヘルニアのためにとったMRIには婦人科系の「あやしいもの」も映り込んでおり
婦人科にも行かなければならず
さらにそのための検査をいろいろ受けねばならず

その後PT(フィジカルセラピー)通いも始まった。

なんか自分がボロゾーキンになったように気持ち……。

前回の椎間板ヘルニアでは、一晩中ぐっすり眠れるようになるまで3カ月かかった。
現在痛みはずいぶんマシになってきたものの、普通に歩けるようになるまであと1〜2カ月はかかるのだろう。

それにしても、なんぼヘッポコとはいえ健康保険に入っていてよかった。
オバマケアさまさまである。

そろそろ次期大統領選に出馬表明する候補者が出てきたが
共和党候補はそろいもそろって「即座にオバマケアを廃止する」って言っている。
なんでそんなに得意げに言うのか意味わからんし。
ラッスンゴレライぐらい意味分からんし!

私はヒラリーを応援するで。
NY州の子供にChild Health Plusを作ってくれたヒラリーを。
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# by brook2015 | 2015-04-19 00:12 | その他

言葉変換『もんじろう』用アイコン アグノシア   

2015年 03月 31日

息子は大学1回生である。

大学は前後期制であり、前期の成績はヒドイものだった。
ヒドイ、というか、極端なものだった。

……もうねえ……AかF、っていう。
サスガだなオメー、っていう……(はー)。

アメリカの大学というところは日本の大学と比べるべくもないシビアな学び舎であり
息子は学部ガイダンスコーディネーターから事情説明の出頭命令を受けた。

ところが息子は出頭命令のメールも留守電もすっとばしてガン無視を続けたものだから
話は非常にややこしくなった。

何故ガン無視を続けたかというと、メールも留守電もチェックしていなかったからである。
何故チェックしていなかったかというと、そういう生活面のオーガナイズがまったくできていないからである。

まあいろいろあって、息子の雁首つまんでガイダンスコーディネーターのところに出頭させることはできたのだが
息子のあまりのヘッポコぶりに呆れ果てたコーディネーターは、大学のカウンセリングプログラムへ行くことを強力に勧めてきた。

息子は小学校のころ、学校側の勧めでカウンセリングに通ったことがある。
そのときのは 時間の無駄 としか思えないシロモノだった。

今回は本人が親元にいないだけに私も不安になり

どうしてこの男は大切なことをスッカラカンと忘れるのか
時間や物事をオーガナイズできないのか
好きなことだけに夢中になりすぎて他がすべておろそかになるのか

カウンセリングに行くことで何か解決するなら行ってくれ、と思ったし
本人も「行く」と言った。

そして息子は定期的にカウンセリングに通うようになった。

春休みに家に戻ってきた息子に様子を尋ねると、驚くべき返事が返ってきた。

様々な検査をした結果、息子は アグノシア なのだという。

アグノシアにもいろんな種類があるが
息子に関わっているのは

facial agnosia
Associative visual agnosia

だそうである。

facial agnosia というのは、人の顔や名前が憶えられない。
ブラッド・ピットがカミングアウトしたアレである。

Associative visual agnosia とは、私も詳しくは分からないのだけど
電気とガソリンを組み合わせて走行する環境にやさしい車、というのは知っているのに「ハイブリッドカー」という言葉がどうしても憶えられない、というような症状なのだそうだ。

息子は3〜4回練習した曲は全部憶えてしまう。
その領域の記憶や認知はむしろ人並み以上である。
それと息子的アグノシアとは全然別問題なのだという。

アグノシアは知的障害や学習障害ではなく、脳機能障害である。
その原因は一般的に、事故による脳損傷、脳梗塞などが多い。
息子は幼い頃よりモノおぼえが悪いという自覚があり、特別頭を打ったりする事故も経験していないため
どうしてアグノシアになったのかは原因不明なのだという。

つまり息子のアグノシアは産まれつきの特性であり、しつけでどうにかなるものではなかった。
一番困っていたのは息子であろう。

普通は中学のとき、遅くとも高校で見つかるもんなんだけどねぇ? 
とカウンセラーは言ったらしい。

よう大学生になれたなそれで  と息子に言ったら
息子 カウンセラーもそう言ってたよ ってサラッと答えてた。
高校卒業まで普通の生徒と同じようによくやってこれたなってことらしい。

息子の通った中学も高校もマンモス校で、生徒一人ひとりのケアなんかまるでない学校だった。
息子は親に尻を叩かれながら、何度も落第の危機をくぐりぬけて今までやってきた。
ギフテッド中学、ハイセレクティブな高校の中で常に学業はぱっとせず
この男は頭がよくないのだろう、と親はずっと思っていた。

だから私は息子に
頼りない、ダダ漏れだ、怠け者だ、しっかりしろ、鳥頭で3歩あるくとすべて忘れる、などとガミガミ言い続けてきた。

でもこれは、生まれつき脚の悪い子に「どうしてもっと早く走れないんだ」と怒りまくっているに等しい。

息子にはなんて可哀想なことをしてきたんだろう、って思った。
そして私は息子に謝った。
気付かなくてごめんな。さんざん罵倒してごめんな。
謝ってたら涙が出てきた。

息子は

お母さんはそんな謝らんでもええよ。
だって一番苦労したのはお母さんだし。
謝らんとってよ。
と言った。
息子の優しさにますます泣けてきた。

頼りない息子をなんとかしなければ、という一心で、私は息子を守り続けてきた。
大学に入り、一人で何もかもやらなければならなくなり
今回問題が一気に噴出した息子。

気になるアグノシアの程度だが、息子のは「努力すれば憶えられる」段階だという。
言い換えれば、いちいち頑張らなければ憶えられない。
オノレがアグノシアだと分かった今後は、ずっと記憶に関して頑張って努力するよりほかない。

客商売は無理だろう。
営業なんかもダメだろう。
ミジンコの研究、とかが一番いいような気がするが。

息子がアグノシアだと判明したからといって本人の「生きにくさ」に変わりはないが
少なくとも今後親からの罵倒は減るだろう。

何よりも本人が自分の特徴を意識し、それを補う生活習慣を身につけてくれることを切に願う。
息子には幸せになってもらいたい。
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# by brook2015 | 2015-03-31 07:08